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2011年7月29日

機械翻訳をそのまま出版して大炎上!


翻訳業界で最近一番ホットな話題といえば、『アインシュタイン その生涯と宇宙』の日本語訳書をめぐる展開です。一言で説明すると、納期に間に合わせるために機械翻訳の訳文をチェック抜きでそのまま出版して、ネット上の各方面で「これはひどすぎる」と大炎上しているのです。

アマゾンのレビューには以下のコメントが寄せられました。

「彼は,時には,やかましくこっこっと鳴って,終わりに全体の出来事が「最もおもしろい」と断言した。」(p.39)

 「ボルンの妻のヘートヴィヒに最大限にしてください。(そのヘートヴィヒは,彼の家族に関する彼の処理,今や説教された頃,彼が「自分がそのかなり不幸な回答に駆り立てられるのを許容していないべきでない」と自由に彼に叱った)。以上は,彼が目立つべきであり,彼女が言ったのを「科学の人里離れている寺」に尊敬します。」(p.41)

 「アルバート・アインシュタインの爆発するようなグローバルな名声と芽生え始めたシオニズムは科学の歴史の中でもユニークで,どんな分野にも,本当に,顕著であった出来事のため一九二二年春に集中。一種の大規模狂乱を喚起して,ツアーしているロックスターをぞくぞくさせるへつらいを押す東とmidwestern合衆国を通る壮大な二ヶ月の行列式書。世界は,以前一度も見たことがなくて,おそらくユダヤ人のための再びそのような科学的有名人のスーパースター,また,たまたまヒューマニスティックな値の優しいアイコンであった人,および決してどんな生きている守護聖人も見られないつもりだった。」(p.45)

以上原文のママ。やはりアインシュタインの本は私には難解すぎるようだ・・・???

極めつけはp.61.。 

 「驚異的な場面だったが,それはクリーブランドで超えられていた。数数千が,訪問代表団と会合するためにユニオン列車車庫に群がった,そして,パレードは二〇〇台の酔っぱらっていて旗の包茎(ママ)の車を含んでいた。

確かにひどい。醜い。こんな行為が許されるわけがありません。どうなるかと思ったら、訳者の一人がレビュー欄を使って事の顛末を説明しました(全文を引用掲載)。

私は本書の上巻の5-11章の翻訳を担当した松田です。この下巻の12,13,16章、特に13章を巡る、滑稽かつ悲惨な内部事情を知っている範囲でのべ、読者にお詫びをすると同時に、監修者と訳者の恥を濯ぎたいと思います。

本書の翻訳は数年前に監修者の二間瀬さんから依頼されました。私は自分の分担を2010年7月に終えました。翻訳権が9月に終了するので急ぐようにとのことでした。ところがいっこうに本書は出版されず、今年6月になり、いきなりランダムハウスジャパンから、本書が送られてきました。そして13章を読んだ私は驚愕しました。

私は監修者の二間瀬さんに「いったい誰がこれを訳して、誰が監修して、誰が出版を許可したのか」と聞きました。二間瀬さんは運悪くドイツ滞在中で、本書を手にしていませんでしたので、私は驚愕の誤訳、珍訳を彼に送りました。とくに「ボルンの妻ヘートヴィヒに最大限にしてください」は、あきれてものもいえませんでした。Max BornのMaxを動詞と誤解しているのです。「プランクはいすにいた。」なんですかこれは。原文を読むと、プランクは議長を務めたということだと思います。これらは明らかに、人間の訳したものではなく、機械翻訳です。

先のメールを送ってから、監修後書きを読んで事情が少し分かりました。要するに12,13,16章は訳者が訳をしていないのです。私は編集長にも抗議のメールを送りました。編集長の回答によれば12,13,16章は、M氏に依頼したが、時間の関係で断られたので、別途科学系某翻訳グループに依頼したとのことです。ところが訳のあまりのひどさに、編集部は監修者に相談せずに自分で修正をしたようです。12,16章の訳はひどいなりにも、一応日本語になっているのはそういうことだと思います。ところが13章は予定日までに完成しなかったらしく、出版期限の再延期を社長に申し入れたが、断られた編集長は、13章の訳稿を監修者に送ることもせずに、独断で出版したらしいです。重版で何とかしようとしたようです。出版を上巻だけにして、下巻はもっと完全なものになってからにすればよかったのに、商業的見地からは、上下同時出版でないとダメだそうです。

二間瀬さんは社長に、強硬な抗議文を送り、下巻初版の回収を申し入れました。社長も13章を読んでみて驚愕したようです。そして回収を決断しました。

自動車のリコールがときどき問題になります。そして社会的指弾を浴びます。しかしあれは発売時点では欠陥に気がついていなかったはずです。ところが本書の下巻は、発売時点で、とても商品として売れるものでないことは明らかでした。本書下巻を2000円も出して買った読者は、怒るに違いないと、二間瀬さんに指摘しました。またアマゾンで書評が出たら星一つは確実だとも述べました。

本書の原書は名著です。私は自分の担当の部分を訳して、とても勉強になりました。ですから本書は日本の図書館に常備されるべき本だと思います。ところがこの13章の存在のため、もし初版が図書館に買い入れられたら、監修者と訳者の恥を末代にまで残すことになります。より完全な下巻の完成を期待しています。

ある意味で歴史に残る大失態になってしまったわけですが、この事件から学べることはいくつかあると思います。

1.機械翻訳の正確性

Google翻訳など翻訳関連ソフトの目覚しい進化が高い関心を集めているために、「機械翻訳は結構いける!」と錯覚されがちですが、訳者のコメントでも分かるように機械翻訳はまだ商用目的で安心して使えるレベルでは到底ありません。私も一人のプロ翻訳者として断言できます。特に文章が長くなればなるほど安定感がガタ落ちしますし、少し凝った表現は文脈を読み誤ることが多い。「今回の例は限定的であり、注意して使えばこんなミスが起きるはずがない」と思う人もいると思いますが(特に「自分には起こるはずがない」と思いがちですが)、読みにくい機械翻訳はみなさんが考える以上に市場に出回っています。このような機械翻訳は、数年前までは内輪のネタで終わっていたものが…

2.ソーシャル時代の翻訳とその評価

…今はネット上で公開処刑の如く猛烈に非難されて炎上します。そして厄介なのが、ネット上のデータは半永久的に残るため(例え上記のアマゾンレビューが削除・編集されても、数多のブログ記事は消えません)、関係者全員の名誉・ブランドイメージに傷を残します。

上記の訳者コメントによると、出版社は「重版でなんとかしよう」と考えていたらしいですが、おそらくこの出版社はソーシャル時代の特徴、つまり個人の発言の即時反映性と影響力について全く考えていなかったか、甘く見ていたのでしょう。個人が強い発言力を持ち、大きなうねりを生み出す時代。これは出版社や訳者にとって難しい環境である一方、チャンスに満ちた環境でもあります。手間を厭わず良い仕事を心がけ、ファンとの密なつながりを求めていけば、むしろビジネスチャンスは広がる可能性が大きいと私は考えます。

3.翻訳者・監修者・編集部の関係性

訳者コメントによると「監修者は何も知らなかったので責任はない」と読みとれますが、これは考えが甘いのではないでしょうか。というのは、仮に編集部が独断で出版を決めたとしたら、それは監修者が相談するほど信頼されていなかったことを意味しているのであり、そのような関係になってしまったのは、少なからず監修者にも責任があると私は考えます。それに訳者が「翻訳権が9月に終了」する事実を知っているのであれば、おそらく監修者も知っていたと推測されますし、監修の立場にある者として編集部と定期的にコミュニケーションをとるべきではなかったのでしょうか。もちろん編集部が一番悪いことは明確ですが、問題が発生した時に監修者はもちろん、訳者の誰にも相談がなかった、つまりそのようなコミュニケーションの土台が存在していなかった事も問題だと思うのです。

ちなみに出版社の株式会社武田ランダムハウスジャパンはHPに以下のお詫びとお知らせを掲載しました。

平素は小社刊行物をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。

この度、本年6月に発売いたしました『アインシュタイン その生涯と宇宙』上下巻のうち、下巻の一部に校正・校閲の不十分な箇所がございました。読者の皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫びいたします。

当該書籍は現在、回収を行っております。また、同時に修正作業をすすめており、7月内を目処に修正版を刊行する予定でございます。

すでに下巻を購入された読者の皆様には、誠にお手数ではございますが、下記まで着払いでご送付くださいますよう、お願い申し上げます。修正版ができ次第、お送り申し上げます。

今後はこのようなことが再び起きないよう、編集体制の見直し・強化に努める所存でございます。何卒、ご理解とご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

2011年7月1日
株式会社武田ランダムハウスジャパン

「下巻の一部に校正・校閲の不十分な箇所」とは実に無難な表現で・・・

2 件のコメント:

Buckeye さんのコメント...

監修者の責任についてはどうかと思います。

翻訳権が2010年9月に終わったのなら、2011年6月末に出版できないはず。逆にいえば、延長したんでしょう。そのあたりは出版社の責任で行うべきもの。で、当然ながら、どのくらい延長したかなんて訳者には知らされません。

「残り時間を知っていたのなら、もっと密にコミュニケーションを取るべきだった」と言われているように感じたのですが、であれば、この前提がおそらくは成立しておらず、ゆえに、後半も成立しないと思います。

「コミュニケーションの土台が存在していなかった事も問題」でマイクさんが何を言われたいのかよくわかりませんが、翻訳出版において「コミュニケーションの土台」となるのは担当編集者です(今回は、おそらく、「編集長」氏)。担当編集者=土台という構図がまずいという考え方はあるかもしれませんが、関係者全員が平にコミュニケーションとれる仕組みを導入したらしたで、おそらく、通常の場合にいろいろと問題が発生するものと思われます(優秀な編集者があいだにはいるからスムーズに流れてきたものがぐちゃぐちゃになる)。

Mike Sekine さんのコメント...

指摘のように2010年9月に翻訳権が消滅していたのであれば翌年6月末に出版はできませんから、権利の延長がされたと考えるのが自然な推論ですが、作品の内容等を監督する立場である監修者(訳者ではない)にはこの情報は通常伝えられます。ここはBuckeyeさんの誤読です。この事件が表面化してから、私は知り合いの大学教授で書籍の監修・監訳経験がある方と沖縄タイムス出版部の編集者に改めて問い合わせたところ、監修者は位置付けとしては訳者よりも編集部に立場にあるので、翻訳権や出版関連の重要期限等の情報を共有するのは当然のことであると回答を得ました。翻訳者ですが、確かに翻訳者は位置づけ的に翻訳権が延長されたかなど知らされないですし、特に今回のケースは自分の持分を終わらせればそこで自分の責任は果たしたと考えるのが一般的ですね。ただそれでも、私は翻訳者「も」もう少し注意していれば、今回の事態は避けられたと思うのです。「権利が消滅」した後に出版されていなければ、編集部に一本電話して確認するのが自然と考えるのは私だけではないはずです。プロジェクトに参加している翻訳者が誰もそれをしなかったのか、または問い合わせはあったが編集部がウソをついたのか、真相はわかりません。ただ、やはりコミュニケーションの土台は存在していなかったのではないか。それが根本的な問題ではないのか。私はそう考えます。

私が言う「コミュニケーションの土台」とは、信頼(信用)を育む土壌のことであり、これは原理的に当事者が共有するモノであるため、一人の人間の内に自己完結することはありえません。つまりBuckeyeさんが主張する「コミュニケーションの土台」となるのは担当編集者という主張は無意味ゆえには私は賛同できませんし、それが実情だとも考えていません。

おそらくこのコミュニケーションの問題は、突き詰めていくと民主主義の問題とリンクするかもしれません。民主主義は時間がかかりますし、プロセス自体も最適化されないケースが多いです(私もイライラする時があります)。しかしそれでも私達が民主主義を選ぶのは、それが多様な意見の集約・反映を実現するからではないでしょうか。つまり、今回の誤訳事件でいえば、平にコミュニケーションとれる仕組みを導入することで様々な問題が発生するかもしれませんが、それは「必要な問題」だと考えられるのです。逆に言えば、平にコミュニケーションとれる仕組みが存在しなかったからこそ、編集部は誰にも頼ることができず、今回の事態を招いてしまったのではないでしょうか。機械翻訳の件ばかりが注目を集めていますが、私はこれこそが問題の本質だと思うのです。

Buckeyeさんは厳密な役割分担を好む印象を受けました。これは一つのアプローチであり、私も反対はしません。ただ厳密な分業化はオルテガの時代から批判されてきたことであり、全てが細分化されている今の時代だからこそ、一人ひとりが自分の役割を越えて「周囲を見渡す(踏み荒らすのではない)」ことが重要だと私は考えます。