2010年8月8日

「物」ではなく、「物語」を売る

シャトー・ラフルールというワインがあります。ヴィンテージは94年。生産量が少ないために高価であり、カジュアルなワインファンには長く手が届きにくい存在でした。私は昔、友人が主催したパーティーで飲んだ事がありますが、「まあ美味しいのかなあ」程度に思っただけで、あまり深い記憶や思い入れはありませんでした(私があまりワインを知らないというのも当然あるでしょう)。

しかし私は約1年前、その「特に思い入れがないワイン」を購入しました。なぜか。私の中で、シャトー・ラフルールの価値が劇的に上がったからです。それはワイン漫画『神の雫』で以下のように表現されたからでした。

私は5月の晴れ渡った空の下にいる
そこは大樹の下で
優しく陽を遮る陰に守られながら
光輝く庭園を眺めていた私は

ふと携えていた一冊の古い本を繙解いた
私はゆっくりと立ち上がり
そらんじたその詩を口ずさみながら

島村藤村『初恋』

花咲く庭園をそぞろ歩く
遠い記憶の中で甘く微笑む少女を想いながら

芽吹く青春の香りと
足元から立ちのぼる雨上がりの土の香りに
酔いしれて・・・

いつの間にか私は
庭園の直中に佇んでいた

紅色 櫻色 赤紫・・・

そして白妙の鮮烈な花のハーモニー

私はその中から
赤紫の一輪をそっと摘みとり

いつか少女とともにそうしたように
蜜腺を吸った

混じりけ気のない透明な仄かな
そして自らを語ろうとしない無口な甘さが

記憶の中の少女の微笑みと甘い口づけに
寂かに連なっていく・・・

そのワインは
初恋の人に似ている

「シャトー・ラフルール 94年」だけなら単なるワインかもしれない。しかし、「初恋の味がするシャトー・ラフルール 94年」だと、人はそこに単なるワインを越えた物語を想い浮かべる。同じ「物」でも、背後にどんな「物語」を演出できるかによって、価値は格段に上がるのです。事実、『神の雫』で紹介されてから、シャトー・ラフルールは今までずっと品切れ状態が続いています。これは人々の「初恋の記憶をもう一度」という気持ちの表れでしょう。

東京R不動産のアプローチも好例です。従来ならばユーザーにとってマイナスに働いてしまいがちな要素(物件)を、「秘密のアトリエ」、「しっとり暮らしたい人に」、「倉庫っぽい」などと言葉のラベルを変えることで魅力的に演出しています。そこには「物語」があるのです。

フリーランス翻訳者が目指すエッセンスはここにあると私は考えます。つまり、訳文という「物」を売るのではなく、この翻訳者なら素晴らしい翻訳をしてくれる、何も心配する事はない、という「物語」を売るべきなのです。その演出方法は様々ですが、まずは顧客との距離を縮めるのが第一歩です。エージェント経由だとこれが非常に難しい、というか不可能に近い。エージェントとしては、クライアントとスター翻訳者の距離を過度に縮めると、直接取引を始めてしまうのではないか、という恐れがあるからです。

フリーランスとして自分をどのように演出できるか、自分に創造できる「物語」とは何か、それをもっと真面目に考えるべきではないでしょうか。今や「物語」により、信頼やブランドが醸成される時代です。そして「物語」を語るためのツールは全て用意されているのです。