2010年7月2日

翻訳者的『もしドラ』1 エリカは『マネジメント』と出会った

四月末に翻訳者版の『もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を書くと @ericoba さんに約束したのですが、気付いたらいつのまにか7月になっていました。さすがにこれ以上放置すると完全に忘れてしまう可能性が高いので、今日から少しずつ書くことにします。『マネジメント』は組織についての本だからフリーランスは関係ないでしょ、と思う人もいるかもしれませんが、実は個人でも活かせるヒントが満載です。

ちなみに登場人物・設定は全てフィクションです。

--------------------------------

エリカは東京の片隅に住むフリーランス翻訳者。三度のメシよりツイッターとシルヴィ・ギエムが好きという自称20代前半の女子である。思い切って会社を辞めてフリーランスになってからもう3年になるが、なかなか仕事にありつけず、悩める毎日を送っていた。「何かを変えなければ!」と思い、ヒントを求めて近所の書店に駆け込むと、店頭にはピーター・F・ドラッカーの『マネジメント エッセンシャル版』が平積みにされていた。流行に弱いエリカは早速購入して、「自分自身をマネジメントするぞ!」と心に誓った。


自宅に戻り、ベッドに横になったエリカは『マネジメント』を読み始めた。なんとなく読み進んでいると、以下の記述があった。

あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには、「われわれの事業は何か。何であるべきか」を定義することが不可欠である。(二二頁)

なーんだ、そんなの「翻訳をすること」に決まってるじゃん、こんな当たり前のこと書かれてもなあ、と心の中でツッコミを入れつつエリカは読み進んだ。

自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。鉄鋼会社は鉄をつくり、鉄道会社は貨物と乗客を運び、保険会社は火災の危険を引き受け、銀行は金を貸す。しかし実際には、「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。わかりきった答えが正しいことはほとんどない。(二三頁)

え、「わかりきった答えが正しいことはほとんどない」ってことは、私の事業は翻訳をすることじゃないの?それなら一体なにが私の事業なんだろう…エリカはしばらく考えたが、納得のいく答えは見つからなかった。

さらに読み進むと以下の記述があった。

(マネジャーは)根本的な資質が必要である。真摯さである。(一三〇頁)

その瞬間、エリカは蝶野のビンタを不意に食らったようなショックを覚えた。思わず本から顔をあげると、しばらく呆然とさせられた。

「真摯さってなんだろう…」

これまでエリカはフリーランス翻訳者として、与えられた仕事を機械的にこなすだけで、自分が真摯であるかなんて一度も考えたことはなかった。それどころか、エージェントの担当者と実際に会って話したこともなかった。自分自身に対しても真摯なのかどうか分からない。改めて「真摯さとは何か」と問われて、納得のいく答えが出せない自分がもどかしかった。突然、目から涙があふれ出してきた。自分がなぜ泣いているのかエリカはわからなかったが、しばらく涙が溢れるのに任せていた。