通訳と第三次世界大戦
1975年の夏に開催された全欧安全保障協力会議では、冷戦時代の東西対話に大きな役割を果たしたヘルシンキ宣言が採択された。最終的には全参加国(35ヶ国)が調印したが、合意までの道程は決して楽ではなかった。合意書が複数言語で作成される場合、各国は署名する前に一つひとつの文章内容が一致しているかどうか検証した上で認証する。ヘルシンキ宣言の場合は6言語ある草案を比較し、言語専門家(翻訳者・通訳者)が各言語バージョンについて「内容は同一だ」という認証を行う必要があった。合意書の内容を巡り東西の思惑が激しく衝突したことから、200人近くの専門家が寝ずにフル回転して調印日に間に合わせた。翻訳者・通訳者抜きでは世界平和は成し遂げられない。しかし、適性を見誤ると政治的混乱の原因になることもある。
西ドイツのハンス・ディートリッヒ・ゲンシャー外相(当時)が合意に先立ちフィンランドを訪れた際、首都ヘルシンキで記者会見を行った。通常の担当通訳者は休暇中だったので、大使館は格安の通訳者を雇っていた。東西ドイツ統一への道筋を立てるべく、外相は「重要なのはpeaceful change of borders(平和的に国境を変更すること)だ」と発言した。しかし政治は専門外である通訳者は何を勘違いしたのかpeacefulを訳さずに「重要なのはchange of borders(国境を変更すること)だ」と発言した。要は本来の意図から外れて、「つべこべ言わずに今すぐ国境を変えろ」という印象になってしまったのである。東側がこれを聞いたら態度を硬化させるに違いない。
幸いなことに、会場にはドイツ語とフィンランド語に堪能な記者がいた。危険を感じた記者は前に詰め寄り、「外相、今すぐ会見をやめてください!このままでは第三次世界大戦が勃発します!」と言った。そこで初めてミスが発覚したのである。
たった一言が異なるだけで意味が完全に変化してしまう。翻訳・通訳とは責任が重い仕事なのである。
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