2019年5月19日

【執筆後記11】嫌だけど主役になる

このエピソードで紹介している「時間を稼いでほしい」という依頼はそんなにあるわけではありません。でも私のように企業買収や法務などを主にやっていると、どのみち丁寧に訳さなければならないので、必然的にゆっくりとしたペースになることが多いです。その中でも私はどちらかというと「スピード」と「体力」で売っている通訳者なので、できるだけ訳出スピードとテンポを上げていきたい。そしてそのペースをできるだけ長く維持したい(でも1日の終わり頃にはかなり疲れてくるのですがね……)。

ちなみに最近、某スポーツ選手の記者会見動画を観ていたのですが、通訳者さんの訳出がとても遅くてイライラしてしまいました。訳自体は正確なのですが、とにかく遅いし長い。原文1に対して訳文は1.7~1.8くらいはあったでしょうか。通訳業界ではスピードが過小評価されているような印象を私は持っているのですが、これは話者や聞き手との信頼関係を築く上でとても重要だと思います。然るべきペースでメリハリのきいた訳出を心がけたいものですね。

重い一言を訳すときは直前に少しタメをおくことが多いです。落語から学びました。そもそも①自分で訳を少し考える時間が必要ですし、さらに②タメをつくることで聞き手に対して「次のこの部分はとっても重要だからちゃんと聞きなさいよ」と心の準備を促すことができます。なんでもかんでも喋り倒せば良いというものではないのです。

まあでも、タメをつくるとどうしても通訳者に注目が集まってしまう場合が多いのですが…… 特に逐次は。主役になりたくはないけど、訳の効果を重視するとしかたがないですね。


2019年5月12日

【執筆後記10】それだけでは訳せない!

肩書きはまだ許せる範囲としても、やはり登場人物の性別は間違えたくないですね。たとえばウィリアムスさんという人がいて、性別がわからないので I know Williams などと呼びすてにすると、人によっては「なんかこいつ上から目線だな、エラそうだな」という印象をもってしまいます。

通訳者に会議の参加者リストをくれない会社はまだ多いので(悪気はなく、単に通訳という仕事を知らないだけだと思いますが)、私は休憩中に机に置いてある名刺を見ながら別紙に書き写しています。会議に出てくる重要人物の名前を知らないって、結構恥ずかしいことですから。情報がなければしかたない部分はあるのですが、やはり恥はかきたくない!

ちなみにこれを書きながら思い出しましたが、まだ法務分野で経験が浅い頃、ある特許訴訟に関する現場で、"did you speak with an attorney?" という質問に対して、「あなたは弁護士または弁理士と話をしましたか?」と訳していた通訳者さんがいて関心しました。確かにこれを特許訴訟だし、弁理士は patent attorney だから含めないとアカンなあ、と。attorney = 弁護士と決めつけがちですが、例外もあるのです。現場でしか学べないことは山ほどありますよ……


2019年5月8日

【執筆後記9】通訳者の危機管理

この回は実は業界的には結構難しいトピックです。通訳者は建前としては「原文に忠実に、正確に」を前提としてしっかり訳さなければならないのですが、やはりそこは人間、集中力が途切れたり、雑音が入って(会議の参加者が肝心な部分で大きなくしゃみをしたり!)聞き取れない時もあります。でも通訳者が頻繁に「もう一度お願いできますか?」などと聞き返していたらクライアントの信頼を失ってしまうので、そこは網を広げて無難に訳したり、前後の文脈から予測して安全な(誤爆を回避する)訳を出すわけです。通訳者であれば例外なく誰でもやっていることです。もちろん上手い人ほど回数は少ないですが。

経験を積むと、訳出のテンポやスピードは正確性と同じくらい重要だということに気づきます。実際、選ばれ続ける通訳者は本当に重要な部分でしか質問しません。経験から話の流れを止めるべきではないと知っているからです。長年の現場経験から文脈の予測精度が高くなっているというのもありますが。

通訳者の危機管理については『通訳翻訳ジャーナル』で連載したこともありますが、使い方には本当に注意してほしいですね。


2019年5月7日

【執筆後記8】意訳と直訳

10連休中に執筆後記を書き溜めておこう!と思っていたら、あっという間に終わっていました。個人的にはあるあるです。

「意訳と直訳」のエピソードを書きながら考えていたことは2点。1つは、通訳学校で教える先生は本当に大変だなあということ。場合によっては直訳寄り、はたまた意訳寄りと、言語化しにくい直感というか、現場の空気を読むスキルを肌感覚でわかるように教えなければならないのですが、これは本当に難しい。私自身もたまに学校で教えますが、このあたりのさじ加減を説明するのにいつも苦労しています。

もう1つは、私は米原万理的にいえば「不実な美女」寄りの通訳者であり、それが求められている現場は心から楽しめるということです。私の主戦場が法務と知っている方がこれを読んだら驚くかもしれません。法務の現場はガチガチの直訳が求められ、創造性あふれる意訳には価値はないのですから。

法務が嫌いというわけではありません。むしろ好きです。でも、スポーツやエンタメ関係の現場がもっと好きなのです。現場自体が自由でのびのびとしていて、言葉の「感情」を伝えることに重きが置かれることが多いからです。ただ、スポーツやエンタメだけで生活していくのはとても難しい。やりがいは問題ないのですが……