2019年3月21日

【執筆後記4】一言の重み

このcheap/affordableは駆け出しがやりがちなミスだというのは、あとになって通訳学校で教えている友人から聞きました。別にこれに限る話ではないですが、学校で真面目に勉強している方々は数学的アプローチで通訳を習得しようとしているというか、とにかくA=Bのように定訳をつけたがるのですね。それはそれで頭の筋トレとして大事かもしれませんが、現場ではもっと柔軟な対応が必要になります。私の場合、特に逐次通訳では、繰り返される同じ表現に対して多少変化をつけたバージョンの訳をいくつか出し、聞き手や隣のパートナー通訳者(いる場合)の反応を確認しながら一つに絞っていくこともあります。経験を積めば積むほど、現場にいながら微調整ができるようになってくるのではないでしょうか。

一言の重みでいえば、ここで紹介しているヘルシンキの記者会見のように、ワードを一つ言わないことで大問題になることもあります。取締役会に呼ばれたのに会長の名前をフルネームで言えず(つまり基本的な準備不足)、その場でクビになった若手通訳者もいます。私も目の前でパートナーがクビになったのを見たことがありますが、メンタルに大ダメージでしょうね……

私の場合、昔は変なプライドが邪魔していましたが、今はわからないことがあれば積極的にパートナーさんに聞くようにしています。タイミングが許せばクライアントにも聞きます。プロとしてのプライドや誇りは持つべきですが、プロだからといってすべてを知っているわけではないので、わからないことは素直に教えを乞う謙虚な姿勢を忘れたくはないですね。


2019年3月18日

【執筆後記3】予想外の発言に困る

これはとても思い出に残っているエピソードです。法廷通訳人は最初に登録するとまず自白事件(被告人が罪を認めていて、起訴事実に争いがない案件)を何度も担当して、経験を積むと難易度が高い否認事件を任されるようになります。私はこのエピソードの案件を担当したときは、否認事件を任されるようになってもう3~4年は経っていたでしょうか。ちょっと調子に乗り始めていたときかもしれません。

被告人のこの発言はシミュレーションできていなかったので、本当に困りました。冷や汗ものでしたね。米軍人が被告人の刑事裁判は、被告人にバイリンガルの弁護士が付くのが普通ですし、米軍からもバイリンガル担当者が出廷しています。傍聴席には米軍向け新聞社の記者も(もちろん琉球新報や沖縄タイムスも)。たぶん私がどういう訳を出すだろうと思っていたでしょうね…… 訳出後、法廷内が数秒シーンとしたわけですが、誰からもツッコミがなかったので、どうやら正解だったようだと安心したのを覚えています。

思い返せば、この案件を機にもっと難易度が高い仕事を任せてもらえるようになりましたし、その後は大阪高裁や福岡高裁で若手法廷通訳人の指導をするようになりました。法廷通訳人としては一つのターニングポイントだったかもですね。初めて担当した案件では傍聴人が被告人(外国人)の日本人妻1人だったにもかかわらず、重圧に負けそうで吐きそうになったくらいですから、我ながらずいぶんと成長したものです。

ちなみに沖縄のような小さな島で法廷通訳人をすると、県内各所に「行けない場所」と「行きたくない場所」がたくさんできます。米軍人が集まるところは避けるようになりますし、殺人や強盗、強姦が起きた場所にも近寄りたくはありません。単純にイヤじゃないですか。だから基地がある地域にはほぼ近寄りませんでした。


2019年3月11日

【執筆後記2】通訳における確度と精度

このエピソードで紹介している確度と精度の話ですが、たしか高校1年?2年(Grade 10 or 11)の化学の授業での話です。結構エラそうに語っていますが、たしかのこの年の化学はF評価で落第しました。そのせいで夏休みが潰れて(つまり帰国できず)、地元の落ちこぼれや不良に交じってサマースクールに通う羽目になったのです。昔から化学は本当に苦手で、高3もどう考えても落第、留年だろうと思っていたら、成績表には51%でギリ合格(D評価)とありました。こんな厄介な生徒をもう1年面倒みるなんて無理、と思われていたのでしょう。まあ、僕もやる気ゼロでしたから。

日本の英語学習者は確度にこだわりすぎて、それが学習速度を阻害していると思いますね。スタートアップの世界では「圧倒的な量から質が生まれる」と言われているようですが、これは言語学習にも当てはまると思います。特に学習初期・中期においては。読書する際は、分からない言葉はとりあえずすっ飛ばしてとにかく何冊も読む。映画もたくさん観る。言葉がわからないなりに前後の文脈から推測をして進めていくと、自然と土台が固まってくる。私自身も経験したのでわかります。ある日、「あれ?結構わかるようになってない?」的なアハ体験があります。トム・クルーズ主演の『ザ・ファーム 法律事務所』を観に行った帰りに、「あ、俺、内容全部わかってるじゃん」と気付きました。1993年の映画なので、もう25年以上前になるのか……

「何も足さない、何も引かない、何も変えない」は、はじめて聞いたときに「それは違うだろう」と思いましたね。私は哲学畑から来ているので、こういう発言を聞くと、「それを真に実現するためには、通訳は数学のように常に言語A=言語Bが導出されなければならないけど、それは原理的に不可能」と考えてしまうのですよね。常に100%の真実が存在しなければならないということなので。ニーチェは他者の想いを100%理解することは原理的に不可能、そしてそれができると考えることは傲慢すぎる、みたいなことを書いているのですが、私も同じ考えです。同じ言語で話していても普通に誤解はあるわけですから。

でもそうだとわかっていても、人はわかりあいたい。そして通訳者はそのお手伝いをしたい。そういうことだと思います。私は諦めから入っているけれど、それは絶対的な悲観ではなく、悲観の中にも一縷の楽観というか、希望があるのですね。通訳学校でこういう話をすると、「え、まずは諦めるんですか?」みたいにキョトンとされるわけですが……


2019年3月3日

【執筆後記1】通訳と聞き間違い

『同時通訳者のここだけの話』は、連載コンテンツを3つのカテゴリーに整理してまとめているので、結果的に連載時の順番とは大きく異なっています。しかし「通訳と聞き間違い」は連載時も、本書でも第1回を飾っています。一番インパクトがあるからかな?

通訳に聞き間違いはつきものです。誰にでもあります。ブースなしの生耳であれば周辺の環境音に邪魔されて間違うこともあれば、事前に情報をもらっていないばかりにAをBと間違うようなことも(Bだと信じて聞けば、AもBと聞こえるときがある)。

後半で書いた世界大会ですが、日本からは通訳者が8人くらい派遣され、私もその1人でした。ホテルに着いてから仕事用のベルトを忘れたのに気付いて、急いでデパートまでタクシーを飛ばして買いに行ったのを覚えています。焦った焦った!中国開催だったのですが、夕食のエビが美味しくて毎晩山のように食べていたら、そのうち他の通訳者から「エビの人」と呼ばれるようになったらしいです。エビ、好物なんで。そういえば宿泊したホテルが外観は豪華なんだけど、部屋は映画のセット?みたいな感じでギャップが大きすぎて笑ってしまいました。

「二個メ」事件の記者会見ですが、なぜか日本語通訳チームの半数くらいが私の仕事を見学にしにきていて、始まる前はいつになくとても緊張していました。通訳者はAll Accessのパスを与えられていたので、特に仕事がない日は好きな競技や記者会見を観にいけたわけです。私が「二個メ」の部分に苦労していたのをみんな分かっていたんだろうか…… 

私は運よく多くの試合で女子サッカーの担当をさせて頂きました。「1.5列目」「ボランチ」「タメ」「楔」など、普段からサッカーを観ていなかったらピンとこなかったと思います。ほぼ毎試合、VIP席からの観戦を許されていたので、最高のファン体験ができましたし、仕事も納得できるパフォーマンスができたと思います。




ちなみに週末に大型書店をいくつか覗いてみたのですが、結構目立つ場所に置いてもらっているようです。嬉しいなあ。