2025年1月31日

ローザンヌでCAS案件

私の主戦場の一つは法務で、主に特許侵害や反トラスト法関連の仕事が多いのですが、ここ数年は私の趣味・関心も兼ねてスポーツ法の案件に力を入れています。過去と比べてアスリートは納得できない処分に対して異議申し立てをするケースが増えており、スポーツ分野の紛争についてはCAS(スポーツ仲裁裁判所)が事実上の最高裁判所的な位置づけである以上、戦い続ければ最終的にCASの仲裁判断を仰ぐことになるわけです。私はこれまでオリンピックの代表選手選考、契約金未払い、選手登録、ドーピングなど、様々な事案に対応してきましたが、時にはスイスのローザンヌまで飛んでCAS本部で通訳することも。

事案によりますが、私の場合は通常、①弁護士との顔合わせ&準備会議、②資料の読み込み、③国内で証人を交えたリハーサル、④スイス現地でのリハと最終確認、⑤本番、という流れが普通です。CASの判断次第で選手生命が事実上絶たれる可能性がある選手もいるわけで、選手側としてはとにかく必死で、何度もリハをする場合が多いです。年初に対応した案件を例にして、語れる範囲で準備プロセスを具体的に説明します。

     弁護士との顔合わせ&準備会議

通訳者である私にCAS案件のオファーが届くのはかなり早い段階で、本番の34か月前が多いです。スイスは遠いので、移動日と現地でのリハを考慮して1週間程度のスケジュールを確保します。本番の1か月前くらいに担当弁護士と顔合わせをして、事案の背景や経緯に関する情報の共有を受けます。顔合わせの前に一定の情報はもらうのですが、焦点が定まってくるのはこのキックオフミーティングから。そしてこの時点で通常は資料をどっさりもらいます。ある丁寧な弁護士さんと仕事をしたときは、たしか500頁?くらいの資料があって「ぐああぁぁぁ」となったのを覚えています。


      資料の読み込み

キックオフミーティングで焦点は定まったものの、もらった資料をじっくり読み込むまでは全貌はわかりません。たとえばサッカー選手の契約金未払いの事案では欧州某国のプロリーグに関する規定や関係書類(メールやLINEのようなテキストメッセージサービスでのやりとりが山ほどあることも)を家に缶詰で読み込みましたし、オリンピックの選手選考事案では、某スポーツのランキングシステムや選考基準についてゼロから学びました。ドーピング事案ですと薬品とその効果に関する知識も必要になります。ただ幸運なことに、ドーピングに関する書籍は今は『Q&Aでわかるアンチ・ドーピングの基本アンチ・ドーピングの手続とルールがあるので、仲裁プロセスも含めて詳細を学ぶことができます。この2冊がない時代は厳しかった…… ちなみに『アンチ・ドーピングの手続とルール』では重要な用語にだいたい対訳が付いているので便利。カネで買える実力です。あと、今や出版翻訳界の大スターになった児島修さんのドーピングの歴史: なぜ終わらないのか、どうすればなくせるのかも発売後すぐに読みました。


      国内リハ

通常は国内リハを実施する前に、担当弁護士から質問リストが届きます。弁護士はリハをしながら質問を変えたり、追加/削除したり、順番を変えたりします。CASは手続きの時間管理が厳しめなので、関係者が合意した持ち時間は厳守であり、リハの段階で通訳を入れたタイムを測定したりします。通訳者はこの段階でいくつかの表現を試しながら、バイリンガル弁護士(必ずいる)と相談して適切な表現を探します。たとえばある案件では、ハードル選手の「ハードル間の歩数」は最初のリハの段階ではベッタベタに number of steps between hurdles と訳していましたが、最終的には step count に落ち着きました。意識すべきは、できるだけシンプルに、そして言いやすい表現に。


      現地リハと最終確認

スイスに到着してからも何度かリハをして最終確認です。事案にもよりますが、相手方が直前になって追加資料を出してくることがあります。直前なのに許されるのか、という議論は別として、そうなったら新しい情報に基づいて準備をしなければなりません。それにここまで来たらもう主尋問の準備は99%できているので、あとは用意した質問を時間内にきっちり終わらせること、そして反対尋問の内容をある程度想定しつつ、選手サイドがどう答えるのか、それをどう訳すのか、をシミュレーションします。相手側がどこを攻めてくるかは国内リハで弁護士から教えてもらえるのと、相手側も証拠書面を出してくるので、それを参考にすれば狙いがどこなのかある程度わかります。あとは水をたくさん飲んで、変なものを食べないこと、たくさん寝ること。基本中の基本です。


      本番

CASでは通訳者は証人の隣に座ります。正直、もうこの時点では主尋問の内容は何度も練習しているのでメモ取りをしなくても訳せます(実際、ほぼメモってない)。問題は反対尋問。本番前は当然のことながら、相手の質問リストはもらえないし、どんな喋り方をするのかもわかりません。私が担当したある案件では、セルビア語訛りが相当濃い英語を喋る弁護士を訳す必要があり、理解できないので何度も質問を聞き直してしまったこともありました。相手をイラつかせてしまって申し訳ないのですが、わからないものはわかりません。このあたりは私も長年やってきた度胸もついているので、割り切って粛々とやっています。

通訳者に対して文句を言ってくる弁護士もいます。日本側が連れてきたから中立ではないとか(それならもっと早く言えよ)、自分のときだけ訳すのが遅いとか(そんな感覚的なことを言われても)。通訳者は鉄のメンタルで無視、自分の仕事を淡々とこなすのみです。私は動揺が表情に出ないタイプなので、それがクライアントに評価されているのかもしれません(自社調べ)。

そして本番が終わったらもう怖いものなし!なんでも食べます!お腹を壊しても知らんがな!



さて、海外出張のPro Tipですが、深夜到着便は避けた方が良いです。私は今回、エージェントにフライト手配を頼んであまり確認しなかったのですが、ジュネーブに23時過ぎに到着、そこからローザンヌ行きの最終列車が24時と、かなりギリギリでした。飛行機が少し遅れたら面倒なことになったかも。

なんとかローザンヌに着いたと思ったら、指定されたホテルに担当者がおらず。あとでわかったのだが、深夜時間帯はパスコードを入力して入館するらしい。聞いてないよー!なのでどうしてよいのかわからず、深夜2時?にホテルの前で証拠動画を撮影する私。このあと、別のホテルで1泊しました(泣)。


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