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日本通訳フォーラム2019 8月24日(土)

2018年3月25日

二流の悲しさを知っているか?

1週間前にアルクの編集者と食事をした際に、囲碁の話になった。15年ほど前、私はなにかのきっかけで(そのきっかけ自体を忘れてしまったのだが)囲碁を始めてのめり込んでしまったのだが、始めてから気づいたのは、囲碁は集中力の強化・維持にとても役立つことだった。

いや、正確には囲碁が……ということではなく、将棋でもチェスでもなんでも良いのだと思う。辛抱強く、長く深く考えることを求められることであれば。今思うと、囲碁にハマっていた時期が純粋な集中力という意味では私のピークだった。

アルクというと英語教育やTOEIC等の試験対策書籍のイメージが一般的に強いし、私も実際そう思っていたので、囲碁関連の書籍もあるのだと聞かされて驚いた。そして曺薫鉉(チョフンヒョン、日本語読みは「そうくんげん」)の本だと聞いてもっと驚いた。英語教育と絡めてマイケル・レドモンドあたりかと思えばそうではなく、史上初の国内七冠達成で日本囲碁界を沸かせた井山裕太でもない。玄人好みの曺薫鉉、年季が入った囲碁ファンでないとおそらく知らない曺薫鉉である。

世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉(チョフンヒョン)の考え方

私は木谷實と呉清源に憧れて長野の山奥にある地獄谷の温泉宿に一人で泊まりに行ったくらいなので、当然曺薫鉉についても知っていたが、彼の師匠である瀬越憲作との関係については本書を読むまで知らなかった。なかでも、師匠が弟子の曺薫鉉にかけたこの言葉が心に突き刺さる。

「二流は悲しい。くんげん、この道をいくなら一流になれ。そうでなければ人生はあまりにも哀れだ」

今になってやっと一流のタマゴになりかけてきた私だが、昔は間違いなく二流だった。私は二流であることの惨めさ、恥ずかしさ、悲しさを知っている。だから駆け出しの頃は文字通り睡眠時間を削って勉強したし、誰も手をつけない面倒な仕事を積極的に受けて腕を磨いてきた。二流である自分への怒りもモチベーションとしてあったと思う。この惨めな状況から這い上がってやる、という気持ちが常にあったから今の自分があると思う。

私がかつて教えた翻訳者・通訳者には、この「二流の悲しさ」をよく理解していなかった人が少なからずいた。一流になるための努力を怠っている人もいた。だからいつまでたっても凡ミスが絶えない者には「こんなバカなミスいつまでも繰り返してるんだったら、やめちゃえば?」と真顔で厳しく言ったこともある。だいたいこれがきっかけで関係が終わるというか疎遠になってしまうのだが、私はそれでいいと思っている。向いていないのであればさっさと見切りをつけてもっと自分に合った何かを見つけるべきであるし、私を見返したいと思って努力をするきっかけになればそれでもよい。

二流であり続けることを良しとするのが一番悲しいのだ。

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