2012年2月20日

エージェントの現実と限界。

先日、6月に広島で開催されるIJETのプロモーションとして、大阪プレイベント第二弾を開催しました。第一部の吉富さんの講演も面白かったのですが、やはり多くの参加者は第二部の煽りタイトルに注目されていたのではないでしょうか…というのは冗談ですが。

タイトル「まずは年収500万!~いま、エージェントとの付き合い方を考える~」の500万は、実行委員の立花陽一郎さんと牧野ポールさんと一緒に大阪の居酒屋で企画会議をした時に、①フリーランスで、②エージェントの仕事だけ受けた場合(ソースクライアントとの直接取り引きは無し)、妥当な年収はどのくらいなのかなあ?という問いから出発して、「うーん、感覚的には500万円くらいがイイ線なのかなあ」とテキトーに決まった数字です(笑)。昨秋、私が大阪で講演した際には直接取引の重要性を説いたのですが、やはりフリーランス翻訳者の大多数はエージェントから仕事を得ている現実があるわけで、それなら次のイベントでは「エージェントと上手く付き合いながら500万稼ぐ方法」を見つけよう!と決まったわけです。ここらへんも98%ノリで。

パネリストは5名いたのですが、やはり参加者の注目は株式会社アスカコーポレーションの石岡映子社長に集まりました。エージェント代表ですからね。いやらしい質問を華麗にかわしつつも、示唆に富む発言を随所に残すあたりはさすがでした。私が気づいた点を以下に簡単にまとめます。

■時代は質よりスピード

アスカコーポレーションは医学・薬学を専門に扱う翻訳会社です。分野が分野ですから、翻訳スピードを犠牲にしてでも正確性を求めるのだろうと誰もが思っていたはずですが、パネリストの一人が「翻訳の質が85%で作業が速い人と、95%で作業が遅い人がいたら、どっちをとります?」と質問したら、間髪いれずに「95%を切ります (キリッ」と断言しました。あまりにもハッキリと言われたので、会場にいた全員が( ゚д゚)ポカーン としてしまったくらいです。

もちろん、石岡社長は質を軽視しているわけではないでしょう。アスカに限らず、エージェントが翻訳者を評価する際には、まず訳文が商品として「許容できるレベル」にあるのかを見ます。翻訳のスタイル等は十人十色ですから、100%はありませんし。そのレベルに達していれば、例えばそのレベルがアスカの場合は84%だとしたら、作業スピードも含めて総合的に評価した場合、85%の翻訳者が95%より重宝されるのは十分にあり得ることです。さらに重要なのは、これを求めているのはエージェントではなく、ソースクライアントだということです。

私はどちらかというと作業が遅い方だと思いますし、100%に近づけたいタイプなので、それを理解してくれるソースクライアントを探して一緒に仕事をする道を選びました。けれど、エージェント経由で仕事をする道を選ぶのであれば、今後は「質よりスピード」の流れを今まで以上に意識せざるを得ないと思います。

一部のパネリストは「今後はもっとスピードを上げて対応していく」と発言されていたのですが、私にはこの発言の意味が理解できません。というのは、当たり前ですが、人間には限界があります。機械翻訳が作業スピードを限りなくゼロにしてしまった今、人間がスピードアップして何の意味があるというのでしょうか。「機械翻訳は質が低い」と言われます。確かに現時点ではあまり使えません。しかし5年、10年のスパンで見た場合、機械翻訳の性能が劇的に向上する可能性が高い、少なくともそのケースを想定して動いていない翻訳者は淘汰されると思います。「スピードを上げて対応していく」のはとりあえずの策であり、問題を根本的に解決することはできません。フリーランスとしては自殺行為に等しいと思います。


■スターでも年収500万円は容易ではない

年収500万円の話の時に、石岡社長が「アスカのスター翻訳者でも全員500万円は稼いでいない」と発言されました。規模にもよりますが、エージェントが抱えるスター翻訳者(質が高い訳文を安定的に生産できるので、常に仕事を依頼される翻訳者)の数はあまり多くありません。おそらく業界では中堅クラスのアスカですが、そこのスター翻訳者でさえも全員年収500万円には達していない(むしろ実態は300万円に近いとか)。フリーランス翻訳者はこの事実を重く受けとめなければなりません。


■キャリアがあっても最初は新人扱い

他のエージェントでどれだけ経験を積んでも、アスカでは基本的に新人としてスタートするそうです。これは当たり前のことで、アスカに限る話ではありません。ただ、SNSの普及等により評価経済が重視されつつある今、新しいエージェントと取り引きを始めるたびにゼロ評価からのスタートを強いられるのはちょっとなあ…と私は思います。しかもそのエージェントでどれだけいい仕事をしても、翻訳者個人はソースクライアントから評価してもらえない。エージェント経由の仕事が多い翻訳者は、この「失われた評価」の価値について改めて考えるべきだと思うのです。


エージェントと上手く付き合いながら年収500万稼ぐ方法を見つけるのがパネルの目的だったのですが、個人的にはやっぱり難しいなと感じました。こんなオチですみません。

ちなみに私は石岡社長を批判するわけでもありません。エージェントにはエージェントの立場がありますし、私にもそれは理解できます。翻訳会社だってビジネスですから、基本的には安く仕入れて(翻訳者のレートを低く抑えて)、高く売るしかないのです。だから多くの翻訳者のエージェントレートが低いのはむしろ当たり前のことなのですよ。

最後にもう一つ。数年前のJTFイベントで石岡社長が「いい仕事をすればOK」という参加者の意見に対して「いい仕事をするだけじゃダメ」と反論して、そのあとプチ炎上したという話を彼女から聞いたのですが、これについては私は石岡社長の姿勢に大賛成です。「いい仕事」をどう定義するかにもよりますが、「翻訳技術さえ磨けば結果は必ずついてくる」という考えであればそれは甘い、というのが(たぶん)石岡社長の本意であり、私もそう感じています。マーケットが開かれている以上、そこで生き残りたかったら常に自分とマーケットの関係性、自分の立ち位置を意識しなければなりません。

というか、当たり前じゃん…

【2/26 追記】

ツイッターでのその後の反響をまとめました。

【2/29 追記】

まったく気づいてなかったが、この件についてアスカの石岡社長がブログ記事をアップしてました。

1 件のコメント:

Buckeye さんのコメント...

どうなんでしょう。私はちょっと違う見方をしています。そのあたり、ブログに書きましたのでよかったら読んでみてくださいませ。
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2012/02/post-32a9.html